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2004/03/04 00:00 更新

通信と放送の“非”融合〜何が両者の間を隔てているのか?〜
第8回:ブロードバンドTV放送で「トリビアの泉」は見られるか?(5)

「放送」と「通信」の違いから、両者の融合のための課題を浮き彫りにしていこうという本稿であるが、今回は完全な私見を交えながら、ブロードバンドTV放送についての総まとめと「通信」と「放送」の融合のあり方についてまとめてみたい。

コンテクスト(文脈)を考えたコンテンツ提供

前回はユーザーのニーズに根ざした、「編集」という姿勢、あるいは「いつでも・どこでも」という呪縛からの脱却、について述べてきた。

そもそも人はどのような瞬間にコンテンツを視聴したいという欲求が生じるのであろうか? この欲求はゼロから発生するのではない。たいていの場合、外部からの何らかの刺激によりコンテンツを視聴したいという欲求が生じる。

 例えば映画が見たくなるのは、映画のポスターを見かけたり、テレビCMを見たり、友人からの推薦があったりと、なんらかの行動のきっかけとなるものが存在している可能性が高い。

 そこで、人はあるコンテンツを選択したり、メディアを選択したりするために、何らかの文脈(=コンテクスト)が必要となってくるのではないか、という仮説が考えられる。つまり「みなくてはならない」という欲求を喚起させる、何らかの仕掛けが必要となる。

 逆に、「○○種類のコンテンツを揃えています!」というだけではユーザー側にコンテンツ視聴の欲求は生じにくいのではないだろうか。

 これはちょうどレンタルビデオ店での経営上の課題の一つが、「いかにして旧作の回転率を上げていくか」であるのと同じ構造にあると思われる。

 私たちはレンタルビデオ店に行けば、「いつでも」過去の名作を借りることができるが、一部の映画ファンを除いて旧作に手を伸ばすことは少ない。旧作に手を伸ばすには、その作品を見たいという何らかの文脈(=コンテクスト)がその人の中で発生する必要がある。

 例えば「新作ヒット作品に出演していた主演女優の過去の出演作が見たい」、とか「テレビで懐かしのアニメ特番を見ていて、急に全シリーズが見たくなった」といったような、そのコンテンツや情報を選択するための文脈(=コンテクスト)が必要になる。

 そして、実はこのユーザーの情報やコンテンツ選択の欲求を生み出す「文脈(=コンテクスト)」を考慮するという点が、「通信」と「放送」の融合の具体的なサービスの代表例であるVOD(ビデオ・オン・デマンド)サービスでも重要になるものと考えている。

VODサービスの新しいあり方の提示の時代へ

 VODとは「通信」的な発想から生まれたものである。

 「通信」の側の発想は、もともと電話というネットワーク自体が一人一人のユーザーを特定し、特定する相手まで確実に情報(音声)を伝えることで発展してきた。こうした通信系の文化からは、ユーザーを放送のように顔の見えない「マス」として捉えるのは苦手で、一人一人を捉えることを好む。

 そしてこうした通信系事業の開発者達が古くから考えてきた映像事業が「一人一人のニーズに合わせて映像情報を提供していく」というVOD(ビデオ・オン・デマンド)サービスの発想であったということができる。

 逆に、放送事業者はユーザーを常に「視聴者」「視聴率」という固まりで見ることが得意であり、「通信」のように一人一人を捉えていくところから発想することは苦手である。

VODにビデオレンタル店の発想を

 VOD(ビデオ・オン・デマンド)サービスの発想の原点には、ユーザーの中には、自分の欲しい情報やコンテンツが何であるのかを認識しているということを前提としているように思われる。しかし、われわれはそのような状況を許容しにくい環境にいるようにも思われる。

 下図は1990年代以降の流通する情報量の変化に関する推計である。近年の情報メディアの革新に伴い、情報流通量も急速に増大していることは、この統計からも明らかである。

図

我が国の情報流通量の推移(1990年を100として指数化)

 ここで一つ仮説として考えられるのは、情報過多の時代にあって、人は自らにとってどのような情報やコンテンツが望ましいのかさえつかみにくくなっている点である。時代のトレンドとして、自ら積極的に情報を選択することではなく、自分に適合した情報を一方的に提供してくれる存在にこそ注目が集まるようになるのではないだろうか。

 先ほどのビデオレンタル店の例で言えば、ビデオレンタル店のタイトル数は年々増加の一途を辿っている。

ビデオレンタル店の経営(1店当たり平均)
19981999200020012002
タイトル数9,1379,50611,02412,32616,111
本数13,10714,00015,04619,25120,030

 確かにユーザーの立場からしてみると、情報の選択肢は拡大しているが、その一方で自分の好みにあったタイトルを探し出すためのコストも比例して増大しているように思われる。

 したがって、この状況にあって「タイトル数が○本揃っています!」という量を主張しても、もはやここにユーザーは価値を見いだせない状況になっていると理解すべきであろう。

 むしろビデオレンタル店には、最新作を十分に揃えており、情報整理がなされていて欲しいと思ったビデオタイトルがすぐにわかる棚揃えがなされている、または店員お奨めの作品の紹介が丁寧になされている、といった付加価値の部分がより重視されているといえる。

 そして全く同じ状況が、VODサービスにも求められるようになり始めているのではないか、というのが筆者の個人的な見解である。

最大公約数の「放送」、最小公倍数の「通信」

 平均的な生活者は、各人の特殊な関心に合った情報や娯楽を見つけたいという欲求よりも、それを見つけるのに要求される心理的負担や不便さの方が大きく感じる傾向にあるという「生活者側の受動性」が、今情報メディアにとって最も大きな問題となりつつあるのではないだろうか。

 権威として声の大きい少数のエリート層の人々は、ニッチな関心領域の情報を探すのに時間やお金や心理的負担を厭わないであろうが、大多数の人にとってはメディアにはは本質的にリラックスして楽しんだりしたい気分で接しているのであり、そのために時間を費やしたいと考えているわけではない(そしてこれらの平均的な生活者の声はなかなか大きな声として言論市場に流通することはない)。

 となれば、この情報選択のコストの負担が低い形でのサービスというものが、ユーザーから求められているのではないだろうか。

 そのような、コスト負担の役割はこれまで、「放送」事業者が全て担ってきた。つまり、「広告無料型」のビジネスモデルで50年もの歴史を積み重ねてくる中で、放送局は、放映される時間帯に視聴者の関心を最大限に集める能力を徹底して鍛えてきた。

つまり、その年・その月・その週・その時間に視聴者が何を求めているのかを敏感に察知し、視聴者が求めている情報を提供する能力を進化させてきたのである。そしてこれが放送事業者の大きな強みの一つとなっている。

 しかし、その一方で、「放送」業界の構造的な問題として、かれらが捉えるユーザーとは、どこまでも「最大公約数」のユーザー像でしかない。逆にこの「最大公約数」からこぼれてしまう少数のユーザーのニーズを常に取りこぼさざるを得なかったのが「放送」なのである。

 「通信」と「放送」の融合の一つの理想型として考えられるのは、まさにこの「最大公約数」からこぼれてしまうユーザー達をターゲットとすることではないかと思われる。彼らの「最小公倍数」の個別のニーズを探り当て、それに合致する情報やコンテンツを、ユーザー側にコストや負担をかけることなく提供できるサービスのあり方こそが、模索される時代になってくるのではないだろうか。

 さて、次回からは執筆者を森下研究員にバトンタッチし「テレビに双方向機能は必要か〜ヨーロッパに見る放送と通信の融合」について連載を開始する予定です。乞うご期待。

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▼OPINION:電通総研

[井上忠靖,電通総研]

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